ひろしま移住と和田小屋【その壱】第九話

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 私が広島の開拓に入ったのは、明治十七年五月でした。船が小樽につくと銭函までは汽車でゆき、銭函からは札幌まで歩きました。豊平では、はたごや(宿屋のこと)にとまりました。そのはたごやのまわりには草ぶきの家が、五、六件あるだけでした。父がモチを買ってくれました。一ケ五銭でした。(百銭で一円)
 兄の与一が豊平まで迎えにきてくれました。兄は前の年、和田郁次郎さんたちと、移住の準備にきていたのです。豊平からは荷物を背負ったり担いだりして歩きました。大曲から中の沢にいく途中に、板小屋(屋根か板でふいてある)があり、そこで休んで弁当を食べました。移住者がはじめて入った仮小屋は、土間に草をしきならべ、その上にムシロをしいて寝床にしていました。醤油樽をまん中から切って、一つは足洗いにし、ひとつは顔を洗うのです。私が十歳のときでした。(岸本トモさんの話から)