木炭つくりの話【その壱】第十五話

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 木炭づくりの始まりは書いたものがないのですが、明治二十四年に金川兵助さんか輪厚方面で、炭焼きをしていたことが広島村史に出ています。これからのお話は広島に木が無くなって、よそへ出て木炭焼きをしたときのお話です。
 昭和のはじめ高台では、もう木炭にする木も無くなっていたので、千歳の奥で木炭を焼きました。ひとつのカマで百俵の木炭を焼きました。私は炭焼きが専門だったから、輪厚あたりからも木炭を買いにきました。木炭はカマに火を入れてから四、五日から一週間くらい蒸し焼きにするのだが、生木だから火がつくまでが大変なのです。長南鉄太郎(富ケ岡)
 昭和五年ころから木炭の製造をはじめましたが、そのころ村では副業で、八十五、六戸が炭焼きをしていました。赤倉治作(輪厚)
 恵庭の盤尻から木炭などを運ぶのですが、行幸橋のところの勾配のきついのなんのって、道はせまいし穴ぼこだらけで、札幌までは五時間くらいかかりましたかね。札幌では北一条東四丁目のマルヒロで、弁当を食べひと休みしたものです。伊藤八郎(広島)