昔の道路と馬車追い【その壱】第十六話

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 明治十七年、中の沢を通って、いまの広島市街と大曲をむすぶ道路ができました。続いて江別道路と札幌道路輪厚道路ができました。札幌道路は札幌新道とよばれ、明治二十五年(一八九二)にできたのです。
 道路といっても坂の多いでこぼこ道で、いまの道路とは比べものにならないものでした。村の人は朝、暗いうちに馬車で木炭や雑穀売りに札幌に出かけ、帰りには米や日用品をかってきたのです。その当時の人々のお話です。
 札幌新道は椴(とど)山の坂がいちばんつらい急な坂道でした。三キロくらいもある登り道を、大声で馬をしかり人も馬も汗だらけになって、馬車や馬ソリを押し上げたものでした。椴山の坂がこんなに急になったのは、道をつけるときに大木がしげって方向がわからず、椴山のいちばん高い木の上にタイコを吊り下げて、ドーン、ドーンとならし、その音めがけて道路をつけていったからだと、父が言っていました。山本覚(広島)
 十四のときから馬車追いをしました。家を出るのは朝三時半ころで、家へ帰るのは夜九時か十時ころでした。坂本安太郎(大曲)
 下野幌の近くでは、食堂や商店が集まっていて、馬が長い列をつくりました。そこでひと休みしたものです。伊藤八郎(広島)