商店つぎつぎできる【その壱】第二十話

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 明治十八年、大谷貞七さんが駄馬で、札幌から日用品を仕入れて、移民の人々にわけていたのが広島の店のはじまりです。その年、増永沢之助さんが中の沢で農具をつくったり、修繕したりしました。明治二十年、流田辰次郎さんが中の沢で店を出したそうです。二十五年、根本小次郎さんが行商の人のために宿屋をはじめました。二十七年尾形源吾さんが家の建築と農具つくりを、二宮信太郎さんがゲタの工場をはじめています。いまの三沢医院のところに、二宮さんのゲタエ場があったと、浜田義夫さん(広島)は語っています。
 二十九年長谷川菓子屋、三十年(松)菓子屋ができ、三十八年には一玖(いちく)のみそ工場、三十九年に斉藤の醤油工場ができています。赤倉治作さんは、「大正橋をわたると、大谷貞七さんが輪厚川の水で水車をまわして、米をついたり粉をひいたりしていました。市街に出て、今の浜田百貨店※のところには、斉藤広吉さんのみそ、しょう油工場がありました。だんだん町らしい形ができてきたのです。」といっています。※2009年現在「紳士服のはるやま」