鈴を鳴らして駄馬の列【その弐】第一話

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 室蘭街道(札幌本通)は、明治六年にできたそうですが、馬車道路といっても当時は馬車も馬ソリもなくて、人や駄倉をつけたドサンコ馬が、通ったのでした。ドサンコ馬は前からいた馬で小柄でしたから、駄倉に荷をつけて運ぶのには便利だったんですね。ドサンコ馬を、何頭も何頭も尾っぽでつないで、シャリン、シャリンと鈴を鳴らしながら、北から南へ、南から北へと通っていたのを、子どもの時分にはよく見かけたもんでしたよ。後には馬もだんだん改良されて大きくなり、馬車や馬ソリも入ってきました。
 冬になると、農家の人も「マキだ、木材だ、木炭だ、農産物だ。」と、馬車や馬ソリに積んで札幌方面へ向って行ったのです。鈴の音が絶えたことがないと、よく言われたものですよ。大曲は千歳と札幌の中間で、今の中学校のあたりに、いい水の出る所があってね。馬の水飲み場にもなり、手ごろな休み場所だったんですね。二宮さんや富谷(とみや)さんという方が、ここで店や宿屋をやっていましたよ。
(大曲 和田マツ)

 大曲は室蘭街道の中間地点として、交通、運搬の大切なところでした。杣夫(そまふ)、木挽(こびき)、炭焼き、馬車追いの人々や、農業、商店などの人でにぎわったのです。明治九年白石村には、五十頭のドサンコ馬がいました。明治十年には漁(いざり)によい馬を育てる牧場があったそうです。明治二十年の北海道内のドサンコ馬は二万頭といいます。外国の馬を入れての品種改良は明治二十年代からのことでした。