札幌へ馬ソリで木炭を運ぶのに、たいてい一台に十五俵から二十俵くらい積んだもんだが、炭俵というのが昔の菰(こも)俵だもんだから破れやすかった。それに俵の底も口もサンダワラを使っておらず、笹の葉なんかかぶせて、なわでとじただけだから、道がわるくて荷くずれすると、俵がほころびて炭がボロボロとこぼれる。何しろたくさんの馬ソリなんだから、これが馬鹿にならなんだね。街道のこぼれ炭を拾い集めて商売をしていた者も、一人や二人でなかったということだ。拾い屋だね。いまからみると夢みたいな話です。まあそのころは何でも大雑把なものでしたね。
(大曲 坂井繁)
私が十四、五才のころ(大正のはじめ)馬車や馬ソリで木炭を運ぶんだが、お得意さんに届けることもあり、一軒一軒売りに歩くこともあったんです。道が悪いもんだから、運搬の途中で、どうしてもガタガタ揺れて、木炭が目減りしてしまう。それで八貫俵(三十キロ)のところ、九貫匁近くつめておくのですよ。それでも「目減りしたんでしょう。負けなさいよ」などと言われて負けて売ってしまうんですよ。
(大曲 坂本安太郎)