鍬をひっぱる馬【その弐】第五話

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 馬で除草をはじめたころは、鍬をしばった除草機を、馬にひかせたという。それを見ていた近所の人たちは、作物の根が切れてしまうと、はじめは笑っていたが、人も馬も慣れてくると、仕事ははかどるし、作物のできも良いので、まねる人が増えてきた。
 また秋になると、馬を使った脱穀も考えられるようになり、収穫した豆の上を、木で作った「ドンコ」をひっぱって豆を落すなど、いろいろと工夫が重ねられたのだった。 (『西の里小学校七十五周年記念誌』)
 
 野幌では明治二十四年、北越殖民会社がプラオの実験をしているし、二十六年ころ講習会、二十七年には五分曳きのプラオが、十五台から二十台くらい入ったという。ハローはプラオより早く、手耕しした上にハローをかけるという。手で作ったものがあったということです。 (『江別市史』による)