大曲で作られたビール樽【その弐】第八話

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 明治十七年(一八八四)中の沢に入った一行が、大曲の東通りの杣夫(そまふ)道を通ったといいます。そのころビール工場の、ビール樽を作る作業工場が、国道三十六号線から少し東へ入った所にあったといいます。明治九年(一八七六)開拓使のビールエ場が、苗穂(なえぼ)にできましたが、樽材までは手が回らず、東京から古樽をとりよせて間に合わせたといいます。その後、大曲のナラ材に目をつけて、樽を作ることを考えたのですね。いつからいつまでか、どのくらい作られたのか分かっていません。樽を作る工場といっても、簡単な作業所で、手割りでないかと云われています。
 大曲は札幌に近い木材の産地として、トドマツ、エゾマツは建築材に、ナラはマクラ木に、シナ、センなどは下駄材として、札幌や本州方面へ送られていったのです。山では杣夫(「やまご」といいました。)という木を伐り倒す人や、大きな木挽(きび)きノコで材をひく、木挽きという人がいたのです。人力による製材所というところですね。材をとった残りは、マキにもなったのでした。