昭和のはじめころ、輪厚地区では家族総出で、タケノコ採りをしたもんです。学校も十日くらいは休みになり、子どもも留守番や、子守りなどをして協力しました。朝からもう一生懸命でした。何せ出面賃(でめんちん)の何日分にもなるのですからね。採ったタケノコは、朝まだ暗いうちに、馬車に積んで札幌へ売りに出かけるのです。一束いくらで、五十本とか百本とかにして売りました。それで娘なら嫁入りの支度ができたし、家では一年分の米代くらいは出ました。私の家では、家内がお産の後が悪くて、札幌へ入院となり困りましたが、タケノコを売ったお金で、入院費を払うことができたということがありましたよ。
(輪厚 西沢太七)
タケノコはいい金になりましたね。昭和七、八年のころですが、春二十日間くらいのうちに、百二十円になったことがありました。二十五本か三十本で十銭(少し遅くなると五十本から六十本で十銭)で売れました。短い期間に採って、札幌まで売りに出るので、朝早くからそれは大変でしたよ。昭和三十年代になると、自動車であちこちから、タケノコを採りに来るようになり、だんだんにタケノコも少なくなっていきました。
(輪厚 赤倉治作)