広島では、竹山などという地名があるように、ネマガリ竹がたくさん生えていたのです。
昭和元年には気温が低く、ひどい凶作だったので、たくさんあるネマガリ竹を利用して副業にすることを村としても考え、講師を招いて竹細工の講習会を行っています。しかし多くは自家用で終ったようで、昭和二十五年の講習会が最後となっています。しかし村の産業組合の購買に、竹細工がおかれていたという記録もあります。西沢太七さんの話によれば、輪厚の山仕事をしていた人の中に、手かごなどを作って、産業組合に出していたことがあったといいます。また大正の終りころ、東部小学校では高等科生に、竹細工を教え、佐々木市太郎さん(北の里)も習ったひとりといいます。