ことある時にはランプの貸し借り【その弐】第十七話

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 私の家では、大正四年に火事となり、次の年に家を新しく建て、その時にカンテラからランプになりました。そのころ二分芯でしたが、ランプの明るいのがうれしくて、家中走り回ったことをおぼえています。後から三分芯、五分芯と、だんだん明るくなっていきました。石油はコウモリ印一斗缶で五円でしたよ。大正五年、函館で米一升が五十銭だったというから、米一斗石油一斗ということになりますね。
(富ケ岡 石橋豊次郎)

 ランプの前、カンテラの時代がかなり長いことありました。カンズメの缶を、横から切ったような形で、ホヤがなく手で持って歩くことができるようになっていました。高さが三段になって、さげる台になっているんですよ。ランプがついた後でも、夜は枕元において、オシッコに起きる時などに使いました。ランプは一個では何かの時に困るので、どこでも代わりをおいていたんです。それで家に人が集まることがある時には、ランプを借りに歩いたもんです。石油はそのころ貴重品でね。四合瓶で高台の白崎商店まで、買いにやらされたものでした。(西の里の中谷完二さんは、共栄の店まで買いに行ったそうです。)
(富ケ岡 岩本国市)

 広島に、南の里から市街地にかけて電気がついたのは、大正十年(一九二一)のことでした。はじめは電気代が高く一戸に一灯というところが多かったですよ。夜九時までという、半夜灯というのがあって、それは電気料金が安かったのです。
(南の里 沖中武雄)