初売りに蓄音機で景気づけ【その弐】第十九話

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 大正三年(一九一四)正月二日、中の沢の石山商店では、初売りに蓄音機をかけて、景気づけたことが書かれてあります。そのころに蓄音機や自転車が、広島に入ってきたんですね。大正時代、蓄音機もレコードも値段が高く、地区に一台あるかなしでした。いつ入ったか、私の家にも蓄音機があり、レコードと一緒に残っています。そのころの蓄音機は、音を大きくするために、ラッパがついていました。なにわ節では、すすき米若、吉田奈良丸などがあったと思います。
(中の沢 大谷義明)

 そのころ蓄音機は、大変珍しいもので、お盆や何かあったとき、蓄音機のある家に集まって、聞かせてもらうなどは何よりの楽しみだったといいます。西の里では片桐英雄さん方で(高橋喜一郎)、南の里では沖中商店(沖中武雄談)高台では高台小学校で、浦口亀太郎先生が、儀式が終った後で余興に聞かせてくれた(岩本国市)、高台の白崎商店で、二銭出して、蓄音機を聞いたことがあったが、声が出るのが不思議で、ラッパをのぞいて見たもんだった。
(石橋豊次郎)

 大正三年のレコードが一枚一円で、日雇賃金一日七十銭、白米二升函館で八十八銭などと記されています。(大正十五年広島の除雪の人夫賃一日八十銭)