開墾の時代、物の値段について、武田トモさん(明治十七年十才で入地、後に岸本トモ)は次のように記しています。冬の夜のヨシ俵編み、一枚一銭五厘でした。住田伊三郎さんの話では、一日十枚ぐらい編んで、大谷地や清田方面へ売りにいったといいます。明治十八年、武田良助さんは、月寒ヘバッタ捕りに行ったときの賃金は、一日十八銭でした。
白石村下野幌では、木炭を焼き札幌へ駄馬で運んだが一俵八銭だったとのことです。また酒一升十九銭、鮭一本三銭、山仕事一日十七銭、内地米一俵一円九十銭。と記しています。明治二十六年、木炭一俵十二銭、酒一升十二銭と野幌村史は記しています。木炭一俵が酒一升、または一日賃金が酒一升では、開墾の時代、酒など飲めなかったのも、無理ない話ですね。鮭はたくさん捕れたので安かったのです。それから何年か経ってのこと、「父が土方しごとに出ると、一日三十銭で、米二升買えた。」と、坂本安太郎さん(大曲)が語っています。明治三十年代でしょうか。稲一俵二円七十銭、豆、・ヒエ一俵八十銭という住田伊三郎さんの記があります。開墾時代の生活は苦しく「父はタバコの代りに、フキの葉をきざんで飲んでいた。正月の餅はアワとイナキビだった。」と明治二十一年入地の、由良延吉さんの記もあります。誰もが苦しいなかに希望をもって、開墾していったのですね。