ほめことばの炭焼きおんな【その弐】第二十四話

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 公職だ、公用だと出歩く男衆もまぁ気づかいであったでしょうが、女たちも大変でしたよ。外の仕事がやっと終わって家に入れば、子どもたちはもう待ちくたびれて、晩ごはんも食べないで眠っているし、子どもたちの世話をしてやって、それからが、着物の繕いだ、洗濯だってあるでしょう。女はいつだって気の休まる時も、身体の休まる時もなく働いたのですよ。開拓の半分は、女の力でできたんですよ。
(大曲 和田マツ)

 私の母は、冬も夜中の一時ころに起きて、馬にマグサとエンバクをやり、一方でごはんをたいて食べさせ、みんなの弁当の支度です。弁当のあまりは、おかゆにして、残った者が食べたのです。弁当のあまりの、麦めしのおにぎりは最高の御馳走でしたよ。ひまあればウスで粉をひき、着物の繕いで休むひまもなかった母、母のことを思えばいまも涙が出るんです。開拓の成功の、半分は絶対に女の人の力だと思います。
(富ケ岡 岩本国市)

 麻で布を織り、めん羊で毛糸をとり、衣類を作ってくれた母、片桐キイです。
(西の里 片桐英雄)

 カイコを飼い、絹糸をとって自家用にした母
(北の里 佐々木市太郎)

 水の不自由なところは大変、共栄ではわき水があったので、天びんで担いで運んだのです。
(中の沢 近藤リン)