団地になった熊の沢【その参】第二話

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 「熊の沢」という地名は、道内のあちこちにあります。広島町では、西の里の北方に「熊の沢」があり、昭和十年「野幌・下野幌・熊の沢を西の里に改める」とあり、昭和二十六年四月一日、熊の沢あたりが、札幌市に編入されたとのことです。現在のもみじ台です。明治時代には、今の御幸橋からとど山までは、うっそうとした原始林で、熊の出る季節には、ガンガンをたたきながら集団で登校したとのことです。昭和になってからも、熊が出て大さわぎになり、学校も休みになったことがあるそうです。
 『西の里小学校記念誌』には「冬だったが、山東八号線の近くで、藤沢音吉さんが大きな熊を仕止めて、中川実二さんが馬(ば)そりで厚別まで運んだ」と記しています。「おじの片桐英雄さんは、地区の連絡に安川さん、大森さんの二戸を毎月のように訪ねたが、草が茂り大きな木がたくさんあって熊の気配を感じた、と語っていた」というのは、片桐政教さんです。