洪水で流された大蛇神社【その参】第五話

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 明治三十年(一八九七)のこと、北の里の岸本兼松さんの隣家は、明治十七年に入地の久保武右工門さんでした。二戸の境には、五、六百年もたった、直径二メートルにあまる老木があったのですが、幹には空洞があったので、そのままになっていたのです。そのまわりには、開墾の邪魔になる木の根、竹の根などを積み重ねてきたのです。ある日、久保さんが、これに火を付けたのです。これが真っ赤な炎をあげて燃えあがり、一週間も燃え続けたとのことです。四日日あたり、赤く燃えていた炎が、青い色に変わり、木の根もとから紫色の脂が流れ出てきたそうです。ふしぎに思っだ久保さんが、焼け残った老木にハシゴをかけ、登ってみて驚きました。焼けて白骨となった大蛇が、とぐろを巻き、真ん中に直径十五センチほどある頭の骨が、大きな口を開けていたそうです。久保さんはその骨を持ち帰って、自分の家に祭りました。
 近所の人は、大蛇のたたりをおそれて、焼け残った老木の近くに、祠を建てて大蛇を祭ったとのことで、後に大蛇神社と呼ばれたものです。昭和のはじめ、裏の沢川(ホロンベツ川)のはんらんで、大蛇神社は流されてしまい、いまはその跡もありません。※(『郷土研究ひろしま第三号』 故岸本トモ、故岸本兼松談話から)※現在は、その跡地に大蛇神社の碑が建つ。