広島にはじめて電気がついたのは、大正十年(一九二一)のことです。それも市街地区と、国道沿いの一部の家だけでした。農村電化が言われ出して、各地区にも電気がつくようになったのは、戦後昭和二十一年からです。それもいろいろと運動し、各戸での負担もあって、ようやく広まってきたわけです。電気が来るのを待ちかねて、自分の手で電気をともそうと工夫した方もいたのです。輪厚川の水車を利用して、電気をともしたのは、中の沢で輪厚川の上の方にいた西田清治さんでした。現在の道都短期大学のずっと先になるところとのことです。
「知人の電気屋さんに教えてもらった。自分の家だけ電気がついたが、何年くらい続いたか忘れました。水車の所ヘ一尺くらいあるヤマベがたくさん上ってきて、ホークで捕えた」と、西田清治さんは語っています。
風車発電を試みたのは、大曲の北口博さんでした。「オートバイの発動機を利用して六ボルトの電気をおこしたのですが、部品が悪く、そろえるのに苦労しました。時々消えたりしてうまくゆかず、それでも七、八ヶ月は続いたでしょうか」と語っています。北口さんの家は、大曲の道路沿いにあるので、西田清治さんも見ていたそうです。どちらも戦争中か、戦後間もなくか、何でも不自由な時代であったそうです。