天秤で水運び四十年【その参】第十二話

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 光顕寺の下の方に、いい水が湧いていて、昔から近くの人がそこから汲んでいたのです。いい水でしたよ。私は大正八年(一九一九)十八歳でお嫁に来てからは、毎日、天秤で水を運びました。水の湧く所には、木の枠があり蓋も出来るようになっていましたよ。吹雪の日などは、男の人が運んでくれました。風呂の水は、水田に引く水を使いました。ずっと後になって、鉄のパイプで水を引くようになり、まもなく水道になりました。かれこれ四十年も、天秤で水を運んだことになりますね。
(共栄 近藤りん)

 昔は川のふちに、ジョンジョンわき水が出ていたんです。きれいな冷たい水でしたよ。それを運んで使ったのです。和田郁次郎さんの所では、いまの広島神社の前から、湧き水を引いていました。
(広島 大谷元恵)

 私の家では、二メートルも掘ると水が出たので、その上水をとったのです。後にはトドの木を割ってトイを作り水をひきました。
(富ヶ岡 石橋豊次郎)

 私の方では沢の水を使っていました。冬は凍ったところを、穴をあけて水をくみ天秤で運ぶのです。雪が降ったりすると、水汲みも大変でした。
(北の里 佐々木市太郎)

 西の里のあたりは、水が悪くてね。私の家では、小沢の湧き水をくんで、飲み水にしていました。夏になると粘土がとけて白くにごるので、四斗樽に砂を入れ、濾(こ)して飲んだのです。この辺は皆(みな)、水で苦労しましたね。
(西の里 高橋松三郎)