明治四十一年頃(一九〇八)のことでした。富ヶ岡の難波さんが、白石へ馬ソリでワラを運んでゆくときに、みゆき橋(いま行幸(ぎょうこう)橋といっています。)の所で、馬ソリがひっくり返って、難波さんはその下敷きになり死んだのでした。その何年か後のこと、父・石橋助太郎と近所の中本三八さんが、やはり馬ソリで札幌へ行って帰りのことです。それぞれのそりの上に向き合って、話しながらみゆき橋にさしかかった時、広島の方からワラを積んだ馬ソリが来たのです。日はすっかり暮れて、暗くなっていました。「こんな時間に変だな」と父も中本さんも思いました。向こうのそりが近づきすれ違うとき、大きな光る目があり、黒い怪物が見えたのです。「あれっ」とふり向くと、もうそりの上には積まれたワラだけで、黒い姿の怪物の姿はなかったのです。何とも不思議なことで、「あれは何だったんだろう」と父と中本さんとは後まで話が出たというのです。「みゆき橋にゆうれいが出る」という話は聞いたことがあったが、「あれは難波さんが出たのだろうか」と思ったそうです。私か子どものころ父から聞いた話です。難波さんのばあさん(未亡人)は、その後何年かいたが、どこかへ行き、弔いの寺もいまはなくなっています。
(富ヶ岡 石橋豊次郎)