大正十五年の八月、小学校も休みに入って間もなくのことでした。父(伝吉)が「札幌の博覧会を見に、汽車に乗ってゆこう」といいました。飛び上がるほどうれしかったですね。汽車に乗るなんて、はじめてのことなのですから。夜が明けるのも待遠しいくらいでした。小学三年か四年の時だったと思います。苗穂まで鉄道がついて、汽車が試運転中でしたが、父が鉄道の誰かを知っていたのかと思います。広い客車は、父と私と兄とおじの原田一男の四人だけでした。はじめての汽車は、珍しいことだらけでした。客車の窓をあけ、外の景色を見てはしゃいでいたのです。東札幌で降りて、博覧会場まで歩きました。博覧会場の思い出は、あまり残っていないです。どこかでおにぎりを食べて、また東札幌まで歩いて、汽車で帰って来たわけです。それから二週間ほどたって、正式にお客を乗せて走ったことになるのですから、私がこの線の乗車第一号ということになったのかも知れないですね。博覧会は、後で「国際振興博覧会」ということがわかりました。帰ってから、おじの一男が、客車に塗ってあったウルシにひどくかぶれて、医者に通うさまでした。
兄武治はそれから六年後に亡くなりました。
(富ヶ岡 小池光治)