ゲタの鼻緒に針金の八番線【その参】第十八話

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 ゲタの「鼻緒」で思い出すのは、「鼻緒」は荒縄だったので、よく足の指の皮がむけていたいんですね。それで、ゲタを手にさげて、ハダシで歩いたりしたもんです。それに「鼻緒」はよく切れるので、私の親は針金の八番線を「鼻緒」の芯にして、布をまいて作ってくれました。それも足の指が痛くなるんですね。運動会などはみなハダシでした。遊び時間もハダシで、校舎に入るときは大きな足洗いで、みんな足を洗って入ったもんです。すぐそばに井戸があり、水をくんでは足洗いの水に入れたわけですね。
(下仁井別 若木政喜)

 私は十歳くらいから、自分のはくツマゴはもちろん、兄弟のツマゴも作りましたよ。
(中の沢 谷口ハツ)

 大正の後期、学校へ行くのに、夏はゾウリかゲタで、冬は自分で作ったワラ靴をはきました。ゴム靴はよそ行きでした。作業にはハダシかゾウリをはきました。その後手製の厚い布で、底をサシコにしたタビに似たものをはきましたよ。
(南の里 沖中武雄)

 私がはじめてゴム靴を見たのは、明治四十四年のこと、南の里から東部小学校へ来た中川清さんのものでした。そのころのゴム靴は、値段が高く、なかなか買えなかったのです。大正三年学校を出てから、ゴム靴が入りましたが、よそ行きの履き物でした。近いところを歩くのや、畑仕事はハダシです。夏などは足の裏が熱かったが、足の裏も強くなるものです。