グローブなしのベースボール【その参】第二十話

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 明治四十五年(一九一二)、私は東部小学校の高等二年でした。(小学校は四年)そのころ学校では、ベースボールが流行っていました。野球ということば、まだなかったですね。ボールはやわらかいゴムまりで、バットはまるい棒切れです。グローブもミットもなく、野球のような言葉もなくて、投げて、打って走る、そんな遊びだったのですが、それでも楽しく元気いっぱい遊んだものでした。そのころは学校だけがみんなと遊べる楽しい場所だったのです。
(輪厚 赤倉治作)

 私は昭和六年、東部小学校卒業(広島尋常高等学校)ですが、そのころは野球の時代で、グローブなど売られていました。しかし農家ではグローブなど買ってもらえず、厚い布切れをもらい自分で作ったものです。中に綿を入れ、麻糸で縫うのです。綿がずれないように、刺し子にしたわけです。自分で使いやすいように工夫して、けっこういいグローブになったもんです。バットは、ヤチダモの木の芯のあるところを使い、まるく削って出来上がりです。それなりに楽しく、自由に遊んだもんです。校庭はみんなハダシで走り回り、校舎へ入る時は大きな足洗いで、足を洗って入ったのです。校舎の中もハダシでした。井戸は外にあって、校舎へは渡し板があったのです。
(南の里 沖中武雄)