竹山のリハビリーの裏に、ポツンと竹山神社が建っています。まわりには一戸の農家も見えません。明治三十年代に建てられた神社だそうですが、風雪にさらされて、痛みもひどくなっています。二度目という鳥居も、半ば朽(く)ちてかたむいています。明治三十年代の竹山は、土地も肥えていて、長さ三メートルも四メートルもあるネマガリ竹が、びっしりと生えていたそうです。ナラやイタヤなどかたい木が多く、木炭を焼いて札幌などへ出したのです。当時入地した方に、横溝、枝元、北山、中村、宮越、臼井、佐藤、高田などのみなさんがいました。そのころ竹山神社が建ち、祭りもにぎやかに行われたといいます。
「祖父長南清三郎が入地したのは、明治三十二年で、その後竹山神社ができたようです。春日大神を祭り、その後わけがあって、高さ十五センチほどの毘沙門天(びしゃもんてん)の像が、白石村の斉木さん方からうつされました。この竹山も木がなくなると、石ころの多い高台で、一軒また一軒と人々が去っていき、とうとう私のところだけになってしまったのです。戦後に開拓の方が十二、三戸入られ、いまもお祭りにはそれらの方と、お神酒だけは九月十三日に上げているんです。」と三代長南鉄太郎さんが語っています。広幸さんが四代目です。