五十歳から郵便配って十五万キロ【その参】第二十二話

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 谷口辰五郎さんが、広島郵便局の集配員になったのは、戦時中の昭和十五年でした。その時谷口さんは五十歳になっていました。それから戦中戦後と、二十年の間郵便を配って、村内の各戸を回られたのでした。見た目では楽かと思ったのですが、重い郵便カバンのほかに、行嚢(ぎょうのう)(小包などを入れる袋)を背負って、山坂の道を歩くことは大変でした。広島郵便局から、輪厚局区内の郵便物をまとめて、袋に入れ(郵袋という)送りとどけるのを「逓送(ていそう)」といったが、朝五時ころには出かけました。戦時中は人手不足で、休みもとれなかったものです。ずっと徒歩でしたが、後からは自転車、冬はスキーも使いました。郵便局まで四キロあるので、局までは家の人に馬で送られたこともありました。中の沢からゴルフ場をこえて、大曲へ出るときは自宅で昼にしていました。吹雪の日などは、家に帰るまで、家族の人は心配でした。共同有線放送で、聞いてもらったこともありました。七十歳で退職した時には、谷口さんも疲れが出たのでしょうか。間もなく病気になって、楽しみにしていた奥さんとの本州旅行はできなかったのです。後で長男の政太郎さんが、本州旅行へ連れて行ってくれたそうです。その時奥さんの胸には、辰五郎さんの写真があったとのことです。辰五郎さんの郵便を配っての二十年は、一日二十キロ歩いたとしても、一年七〇〇〇キロを越え、二十年間には実に十五万キロという道のりですね。これは地球上を三回半から四回まわったことになります。