馬の話?私はあまり馬好きでなかったからな…。
わりと村史でもね、農業経営に馬使ったっていうの出てないもね。ここいらでは、道路の始まりは、馬車が引けん頃、駄馬みたいな馬の鞍に物積んでね。車が動くような道のない場所ね。
そして、こちらは造材事業もあったようだから、これひきだすのには、おそらく馬入れたと思うんだよ。明治二〇、三〇年以前には、もう馬は十分入っとると思いますね。
北の里は馬好きが多かったんだけども、歴史はなんもそういうの残したものないからね。それだけ好きなら馬頭観音さんぐらいあればいいのに、それもないもね。
渡辺さんの隣の岸本さんのところの庭にね、ちっちゃい小屋建てて祀ってあるぐらいか…。あれは岸本さんの家の守り神だって。早くに入って国有地払い下げやら安定した経営してたからね、お金も持ってたし。
結局、開発始まって、北海道行きゃどうにかなると思って来る裸一貫みたいな人居るでしょ?払い下げ地があるから申請はするんだけど、農具もよう買えないってことになるとね。資金借りるか、そういう人の小作やるかしてね、開くわけです。
そういうんで、小作が多いときにはもう、五、六戸ぐらい岸本小作にいましたから。小作やら家族を集めて、岸本のお祭りだってやっとったみたいだね。
祀ってあった小屋を、神社のようにしとったようだ。神主さんを呼んできて祝詞あげるんだって言ってたから、小屋は神社だね。札が入ってた。小作の人達と一緒に、そのちっちゃい神社でお祭りをしとったんだ。
あとは馬喰さんの役目も岸本さんはしてたから。
あの祖父さんたらもう、あらゆることで金を作ることを一生懸命やった人だと思うよ。西の里行って椴山で店をはってたこともあるんだと。店やったり、馬喰やったりでしょ?農業もやったし。
昔はね、馬の動静を見るのに家と納屋がくっついてたね。故障おきてもすぐわかるし。家の真中を土間の通路にして、片側を納屋にした。北の里でも住宅にくっつけてた。東北でも南部の人らは、住宅にくっつけてた。
北陸の方は別棟にする習慣なんですね。同じに馬を飼ってても、納屋くっつけとるのと別棟と。
故郷の違いだろうけども、うちらは北陸だから別棟だったんですよ。
百姓始めた頃は一頭ぐらい…一頭しかいなかったような気がしたね。それから、だんだん北海道農業も二頭引きになったり、余裕があったらたくさん飼って、育てて売って、まとまった金とるのにね。後には四頭ぐらいになったね。
凶作の時には馬を売って金を足しにするとかね。