[温泉を始めるきっかけ]

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 ある日、店やっていて、役場の職員二人がハイヤーで突然来て、「ひまですかー」って言うから。「ひまでもないけど」と言うと、「ちょっと」って言うんです。山が素晴らしいから、広島観光なんとか協会だかをこれから作りたいんだって。それで、お隣りで降ろされたんですよ。鈴木さんというお宅。そして、入ってみたら、たくさん人集まって、長澤さんも座っているの。今のリハビリ(北広島リハビリセンター)理事長しているのは、息子さん。長男ね。で、竹村さんは副会長だっていうんですよ。何も知らないで、もらった資料見たら、ちゃんと副会長になっているんです。広島観光なんとかをつくるための副会長に。
 
 ちゃんと刷ってあるんです。どうにもなんないから、座っていました。
 
 長澤さんというおじいさんは、しっかりとしたおじいさんで、元は釧路の漁業の何と言うんですか、親方さんをやった方で、息子さんをみんな医者にしているの。そのおじいさんが、毎度、私のところに来るんです。おじいさんとおばあさんが。何とか、温泉が出ているって。出てたんでしょうね。温泉と言うよりね、何というんでしょう。そして、おじいさんか誰かが北大に持って行って、調べてもらったら成分があるって。だから、どこかスポンサーを見つけてほしいと。半年経っても、スポンサーが見つからないの。おじいさんはおばあさんと一緒に、毎度来るんですよ。とうとう、我慢しきれなくなって。
 その当時は、金融機関というのは、札幌信用金庫だけ。あと、なかったんです。それで、支店長に相談したんです。「とんでもない。止めなかったら、大変だ」って、支店長がここへ見に来たんですよ。でもね、私が返事しないうちに、一度新聞に出たんです。それから、どうにもならなくて。半年経った頃には、おじいさんとおばあさんは何回も来るし。困って…。
 
 話は前後しますけれども、母が死んだあと、父は、岩内から後妻さんを貰っていました。これが、きかなくて有名な人で。言葉は悪いし、自分は、学校一、優等生だったって、誰かれかまわず言うんですって。ほんと大変でした。その当時、私と一緒に暮らしてたんです。有名な古谷のばあちゃん。古谷ハナです。
 で、困った私がその母を連れて、ハイヤーでここへ来て、「おばあちゃん、どう思う」って言ったら、その優等生のおばあちゃん、本当きかないんですから。「イクちゃん。やるんだったらやって。何にもなくなったら、タバコ屋一軒だけ残してくれれば、私は、イクちゃん守ってやる」って。タバコ屋は二軒あったんですよ。きかないもね。七三才で亡くなりましたけどね。よく、けんかして…。
 とにかく、そう言うから、「それじゃ、やろうか」って言ったのがきっかけなんです。先見の明があったとか、そんなもんでないんです。
 
 初めは役場の方たちの口にのって、最後はおばあちゃんとおじいちゃんのね、せめによって仕方なし。
 
 その当時、穴田村長だったからね。「やってみたら」って言うから、ふみきったんです。
 
 その時、私は五三才。(竹山高原)温泉は、四五年九月に開店したんです。
 
 四五年に(温泉を)建てた時は、札幌信用金庫という金融機関に一五〇〇万借りて自分で持っていた金を出して、約二〇〇〇万ぐらいで。坪八万でしたから。
 当時の村長って、穴田さんですから。だから、村ぐるみで、みんな応援したんでしょうね。私も夢中ですから、判りませんでしたけど。
 一部ずつ増築増築で、お隣の土地を買ったんです。
 お隣りの鈴木さんが、買ってくれって。
 五反。誰もね、こんな山ん中でやったら、損するの知ってますもん。だから、誰も手出さなかった。
 だからね、商工会のみんなが遊びに来て話してたんです。
 私、お華だけ教えて歩いていますから、商工会にもお華の先生をしてました。そのみんなが言ってたって。「先生だから、持ちこたえたんだ」って。そんなに、苦しかったって思いませんけどね。そう言われてみたら、改めて、とんでもないと思った。
 「よく主人の年金と、お華の月謝で持ちこたえた」と言われて、ああ、そうかなと。
 
 で、お隣りの鈴木さんから五反を買いました。当時、荒地ですからね。一番先、五反。
 今では、二町三反。次から次へと買って。
 やめたーって言えませんもの。やるって言ってしまったんですから。それが、四五年。
 それから、国体があった時、また増築したの。あの玄関の方ね。そして、六二年かしら。六三年にボーリングしたんです。
 
 その前はね、お湯は、噴出してて湧いてたの。
 よくあるんですね。広島に、にじみ出るように自噴してるとこ。
 
 昭和一七年頃ですか。タバコ屋をやってる時、富ヶ岡のどの辺か判りませんけど。確かこの近くで、石油の採掘やってたんですよね。その時ね、タバコの配給してて、そのおじさんと、おばさんがね、「奥さん、お世話になりましたけど、石油出なくて、私たち、帰ります」って言うんです。そして「石油ダメでしたか」って聞いたら、「石油出ないで、お湯が出た」って言うんですよ。私、本当に、何も判りませんから、「そのお湯、市街で引きたいから、そのままにして。私、これから道庁か支庁に行って、頼むから」って言ったら、「それ、できないんです」ってね。埋めて返すんですって。穴掘ったら、穴埋めて返すんですって。それが、きっかけで、ふとボーリングしようと思ったんです。もしかしたら、出るんでないか。
 だから、ボーリングしようと、六三年に、考えついたんですけど。
 それまでは、チョチョチョと出ていたのを、集めて、お湯を足して。
 今度は、まるまる一三〇〇mのところから出た。三二度の。始めは、四五度、四六度の温泉が出たんです。でもね、途中で一〇〇〇m掘った時に、お金かかりますからね。一〇〇〇mというとこに、穴あけて、ボーリングするんですね。そして、出なかったら、また一三〇〇m掘って出したもんですから。一三〇〇mのとこから熱いお湯が出ても、一〇〇〇mのところから出た、ぬるいお湯が出てくるから、三一度で終わったんです。今、三一度か二度。
 ですから、少し沸かしてね。でもね、水質はね、十勝川温泉と同じです。
 タオルも、黒くならない。
 そしてね、ボーリングしている最中です。おやつ持って行って、池があるんですが、その池の淵まで、トントントンって下りたんです。真っ黒いヘビが見えたんです。それが長いんです。カラスヘビって短いんですって。でも、違うんです。長いんです。驚いちゃって、ヒャーって、二つある池の二つ目のところへ来たんです。そしたらね、今度ね、青大将が同じ形で長くなっていて、「ワーッ」て言ったら、若い人たちが飛んできて、「ここらに黒いヘビはいない」って。でも、青大将はいるんですって。
 …それで、私が考えたことは、(温泉が)出るなと思ったんですよ。
 ヘビって、温かい所で、育つというんですね。だからね、その若い人たち、泊まってますから。「ちょっと出るんじゃないかしら」と言ったら、「ボクも、そう思います」って言うんですよ。だからね、掘ったんです。
 それが、テレビに出た時、私、この話をしたら、黒い蛇の話が白い蛇になったの。変えちゃって…。
 やっぱり、記事になったら、変わるんですって。
 それから、私がね、「元旦の朝に主人の夢で、やろうと決心したんですよ」と言ったら、主人が「掘れ」と夢に出てきた話になっちゃった。
 その年の元旦に夢に出てきただけ。「掘れ」とか、そういうことは何も言わない。主人は、こんなことやってると知りませんでしょう。
 ボーリングしたのは、六三年。その六三年のお正月に夢を見たの。でも、それで決心して、六月に始まったんです。そして、九月半ばに出たということ。
 最初にここに決める時に、主人の夢を見たんじゃなくて、ボーリングする年の元旦に、主人の夢見たから、やろうと思って。
 
 私の考えたのは、本当に女のくせにと、言いたい話なんですけど。死んでいく時に、「ああ、やっぱり掘れば良かった」って言って死にたくないって、私の考えですよ。だから、掘って、たとえ出なくても、ね。今、二〇〇〇万くらいの余裕あるから、あとは借金して、一生かかって払えばいいと…。
 やっぱり辰年だから。
 
 でもね、たえず思うことはね、周囲の協力。
 ふっと思って、振り返ったら、誰かが応援してくれていた。でも、だまされやすい私ですから。