輓馬(ばんば)競争を、お祭りのときにやってたこともあったのさ。宵宮と本祭りと後祭りとあるわけだ。その後祭りの昼間の余興さ。大曲でなくて広島の方の祭り。今でこそ一緒みたいだけれどもね。昔は一〇月一〇日だった。
好きな連中が集まってやってたのさ。千歳から始まって、次はどこでやるって会場に立て札するわけさ。今度は広島で何日にあるとか、倶知安で何日にあるとかってね。倶知安までも行った。
お互い仲間同士でやる日を教えるからね、皆つながってしまうわけさ。
「今度は千歳祭り九月の一〇日だからその次の日にあるぞ、来いよ」「おう、分かった」って。倶知安でも真狩の方でも、こっちへ来たり向こうへ行ったり、お互いにそんなことして。それだからね、札幌の誰それが来る、倶知安の誰それが来る、千歳の誰それが来るったら、「あの野郎が来たら、ただ優勝旗持っていきやがる」って言って、それが外れたら「野郎やっぱりこっちの方が強いな」とかね、いろいろあるわけさ。
ひとつの道楽さ。
損得かけてるわけじゃなくて、ただお互いに行ったとか来たとか、あの野郎来ないだとか、あそこへも行ったとか。
景品も出たけど、それをもらったって、そんなものは儲けとかではないんだ。だから親父にいつも言われたもの。「自分の仕事ぶん投げといて、したいことして遊んでる」って。秋になったらそんなことばっかりして、なんも仕事にならん。金儲け休んででも、そこへ行かさるから。
広島の輓馬競争は、共栄の大きな農家の畑借りてやってた。馬車で回るんだから、場所が広くいるからね。
土盛ったりもしてた。牧草畑はだめで、ただの畑の土をブルで両方から寄せて山こさえてさ、そして固めて、終わったら元へ戻してありがとうございましたって終わりさ。
輓馬競争には、だいたい八頭から一〇頭出したね。予選やって決勝だから、二〇〇頭くらい集まるんだ。盛大だよ。一〇頭立てくらいで二回も三回も予選して、級を決める。
馬体検査ってね、並べて検査するわけさ。審査員がおって、本部の役員がするわけ。組み合わせで変なことされたら文句出るからな。
一等が旗を取るわけ、優勝したら。その旗を取りたさにね、色々細工するわけさ。
俺の馬は覚えられてて、なにせ気が強くて三級の馬が二級に上げられるんだ。それで、わざわざおかしな道具持たしたり、子どもに持たしたり、女に持たしたりして、「佐々木っちゅう名前出すなよ」って言ったりした。それでも見抜くやつは見抜くから、「この馬買ったのか?」って聞かれる。持ち主でもって受付するけど、佐々木でなくて斉藤なら斉藤で受付しちゃうのよ。聞かれたら、「買った馬だって言えよ」って仕込んでおくのさ。でも馬見れば分かるから、「どうもおかしいぞ、あいつが簡単にこんなもんに売るわけねぇべ」とか言われてた。とにかく顔覚えられてるからね、油断ならん。食らいついて目つけられてるんだから。
道具だって金かけた道具でなくて、おかしなロープで縛ったもん持たして、引っ張らしてたんだ。そうやって姿変えていくわけさ。馬体検査終わるまでは、俺はそこら辺にいないよ、絶対に姿を見せない。それまでせんかったらね。
だけど馬体検査終わってさ、いざスタートになったら出て行く。頼まれたからぼって歩くんだってんで。あくまでも頼まれたからだってね。それがまた面白くて、熱入るんだ。
当時は馬橇。馬橇と重量は会場に用意されている。重量には土俵を載せる。昔は土俵だから。
今は、毎年土や砂を入れて土俵を作るのは面倒くさいから、コンクリみたいな四角いのを作るようになった。でも人間の肌触りが悪いんだよ、ぶつかっても痛いもの。腰掛けても、俵に腰掛けるのと違うから。
立っても何してもいいけど、ぼってかなきゃならないんだよ。コンクリだったら角があるから、土俵がやっぱりいいわ。
岩内に行った時は、ドラム缶に水入れられて一番えらかったな。ドラム缶に水びっちり入れたら五〇貫あるんだから。ドラム缶にね、水びっちり入れられて積まれたら、飛び乗れったって乗れないもの。滑るもの。雨でも降ったりしたらどうもならん。石はそれなりに、ぶつけないようにして座ったりした。本当は土俵が一番いいんだ。袋でもなんでもいいから、かますんでも土入れてね。それは主催者に任されてて、決まってないんだ。そこの会場によってだ。
大曲で輓馬に歩いていたのは、俺ひとりだ。
当時は馬が軒に二頭も三頭もいたけど、馬で遊んでたのはいない。またね、忙しいんだから。秋取り入れになってからね、ばか言って遊んでたら百姓困るんだ。
大曲の方ではひとりだけども、広島の中ではいっぱいいたね。梅田の兄貴だって行ってたんだから。梅田の兄貴ったらな、一番の兄貴だ。あと上野だとか松野だとかいっぱいいる。原田もいるし、吉光の定雄も。皆死んだけどな。俺が一番若いくらいだな。俺は昭和五年六月七日生まれだから。梅田だってまだ年上だしな。