[当時の思い出]

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 今、ちょっと残骸が残ってますけど。あれ、うちで作ったんですよ、輪厚の火葬場は。うちの親父がまだ元気な頃。えーとね、昭和の初め頃かな。私が、その後、終戦になって親の手伝いするようになって、三~四年経ってから、火葬場の煙突修理したの。かまどの傷んだところ直したり、火葬場で仕事しましたよ。
 
 昔、浮浪者っていうんですか、火葬場の焼いた後の温かいところで寝るって。開けたら、人が寝てたんでびっくりしたとかって話もありますし。それから、火葬場に小さいお地蔵さんやなんか、置いてあったんですね。夜、若い元気な人達がそこへ行って、お地蔵さんを持って来いとかって言われて、夜中に肝試しやったとかって、そんな話も結構ありましたね。行って来れるか、行って来れないか、賭けをして。とにかく、持って来たらその人が勝ちになるとかって言って。そんな話も聞いたことがありますよ。
 
 それとね、軟石は軟石専門に切る鋸を使って切ってるんです。切るときは水を使います。全部、水かけながらでないと、もたないですから。切るのも、磨くのも、水かけてやるんです、人力で。だから、一本の墓石磨いて作るったら、何十日もかかったのさ。軟石であれば、軟いから、磨くのも早いし、一週間もしたら、一人でやって出来上がるっていう感じ。それでも、墓石の蓮華みたいなやつは、完成するまで一人で二日くらいかかるからね。結構大変なんだ。
 
 だから、話に聞くと、職人の中で石屋が一番上座に座ったとかって話。大工さんやら、左官屋さんやら、色々職人がいるんだけど、出来上がって、何かお祝いをするときには、石屋が一番上座なんだって。そういう話、聞きましたけども。