当時の看護婦さんは、川手さんていう人。吉原先生について独学で正看の免許をとった人だけど、開腹手術とかは初めてで、よくがんばったよね。
今の若い看護婦なら、時間になったら、「はい、さよなら」でしょ。川手さんだったらさ、また明日もね、もし手術があったら困るから、麻酔液を作っとくとかさ、包帯をきれいに揃えて、終わらなかったら帰らないでしょ。
昔ね、包帯だとか、あてたガーゼだとかっていうの、みんなねクレゾールで、グツグツ煮沸消毒して、再生させて使ったのさ。暇さえあったら、包帯巻きしてね。包帯いつもぶらさがってたものさ。
それもね、濡れた時にね、きれいにアイロンかけたみたいに一回ぐるぐる巻くんだ。固く巻くのが大変なのさ。
そっちの仕事ってすごくあって、一人手術あったら、手術はせいぜい三〇分か一時間で終わるけど、初めの準備と後片付けが大変だった。前後四時間くらいかかるんだから。
あの頃はね、手術は結構あったからね。一日三人ぐらいやった、はりきってやった。
看護婦さんも、よくやったよね。夜、寝ないでまた働くんだよ。だから、感謝してる。川手さんのほかにも若い見習いが二人いたけど、みんなよくがんばってくれて、私は本当に良い職員に恵まれましたね。
川手さんって、そんなに体格のいい人でもないんだけど、黙って往診について来てくれたね。僕もまだ若いから、気がきかないもんだからねえ。
オートバイの後に乗って重たいかばん持って。どこもつかまるところもないんだから、がんばったと思うよね。気にしないでバイク飛ばして歩いてさ、本当に迷惑な話だよ。命がけだったと思うよ。
川手さんに「すみませんでしたね」と言いたいね。
最近、つくづく団地造成が始まった頃の輝美町を思い出すんだ。冬、それも夜になると、団地の往診は、どっから入っていいか道がわかんないことがあったわけ。それで、何号棟のなんぼってのが見えたらね、柵乗り越えるのさ。かばんを先にぼーんと投げてさ。それから、川手さんの尻押し上げて、よじ登って、そして往診に行ったよ。
昼、明るいときに見るとちゃんと道がついていた。
椴山の往診も大変だった。道路が吹きだまりで歩けないでしょ。だから、雪のはねた固いところを歩いた。冬道一キロ歩くというのは大変だ。足もとは悪いし、川手さんなんて重いかばん持って歩くんだからなおさらさ。