そしていろいろ話してるうちに、そしたら向こうでも、だいたいわかってくれて、すぐ札幌の兄貴の方に電話したらしいよ。「三年間はなんとしても帰らないんだ」と。「ここで勉強をひとつさせてくれ」ということで入ったんだけども、そこの家は、まぁ暮れのうちは忙しいけど、春は暇になるから。弟子が二人…朝飯食ってるの見たら、三人くらいいたようだったな。それに職人使っていたけどもね。で、それで、そこに一週間くらいいたんだけども、そこの親方がね、またいい親方なんだよね。それでそこの親方が「私の親方が渋谷でやってて、年中忙しいし、仕事にはうるさいよ」ったの。「はい、結構です」と。それが私の勉強ですからってお願いしたんですよ。
その話をしたその朝すぐ「じゃ一緒に行きましょう」って言うので、着たまんまだからね、道具だけしょって、連れていって貰ったの。したら、そこの渋谷の親方はね、明治時代の職人さん。それがまたね、もうあの頃で、七〇か八〇なんぼになってたんでないのかな。それでもってあれだよ。私に仕事教えるのには、こうやってやるもんだということを教えてくれたよ。
行った年の次の年、年季明けるっていう人がね、いたんですね。それが私に付いてくれて…渋谷の親方がちゃんとわかってくれて、私にその人を付けてくれたの。そして三年という約束だったけども、二年半くらいだったな、そこにいたのは。
それでそこでは「金残せよ、金残せよ」って言ってね、おかみさんと二人で。おかみさん、子供のいない人なんです。それで「北海道から来て大変だから、金残しなさいよ」そう言ってくれる。どっか見物に行く時はね、親方がちゃんと出してくれるの。そして親方が仕事を教えるのに、私を連れていくわけ。そしたら何もいらないしょ。そして行って、寸法取りなんかやるでしょ。
ホントにね。そうやって、もうね…よくしてくれたんだ。たまにチョコチョコ銭こ使ってるとね、おかみさんが「どっさり家に持って帰るようにして、あんまり使うんでないよ」って。そう言って説教してくれるわけさ。や、有り難いなと思ってね、帰る時までに、絣(1)(かすり)の着物作ってくれて。
あっこはね、昔の江戸っ子だからね、本当は、職人の弟子なんかは縞(しま)の着物を着るんだって。だけども絣の着物をちゃんと作ってくれて。そして「帰ったら作って貰いなさいよ」って、また一反くれたのさ。
注
(1)「模様の一種。所々、一定の順序に従って、かすったようにして置いた模様。」
佐藤憲正 『日本国語大辞典 第二版 第三巻』 小学館
平成一三年年三月 六五二ページ