それで二年半で北海道の兄の家へ帰ってきたけれども、「いつまでも俺がしてやられない。お前も勉強してきたんだし、ひとつ店持って頑張れや」と。独立せんきゃならんからということで。それで山鼻南一六条の七丁目、電車通りにね、そこへ店を出して。
出した翌年の二月に、二五連隊のね、仕事を請け負っている会社が南六条の一一丁目にあったんだ。ところがね、誰でも入られないことになっちゃったの。そこに籍を置いてる時分に私が指定されたわけ。
だから官舎の仕事でも何でも、全部私が調べて歩いて、そして職人がいるようであれば職人を連れてきて、そしてやらせると。その職人を何人、何て言う名前で、何人来てるか、それも全部報告しておかなきゃならんだからね…うるさいから。うるさいったらおかしいけども、その当時ったらねスパイがいるでしょ。
で、そこ行って仕事したけども。私がその年の二月に徴用かかってね、滝川の人造石油会社に徴用工として引っ張られちゃって。その時は二〇〇名くらいいたね。
一九年にね、二月に徴用で行って、七月の一日に赤紙来たっていうこと。札幌にうちの家内が残っていたからね。私、いなきゃどうもならないんだけれども。そうかといってね、自分勝手にならないしね。私の家内と子供一人いたのかな。それで七月一五日に向こうへ入れと。こういうことさね。
で、結局あれだ、横須賀さ、横須賀海兵団に入団。
終戦はね、もう少し、遠くの方に行ったわ。厚木航空隊っていうとこ。
それで私は札幌へ帰ったんだ。ほれ、家内は山鼻にいたんだけども、その年の二〇年の三月に広島へ来ちゃってた。だけども通信ももう出来ないでしょ。そんなもんだから私、札幌にいると思うから札幌に帰ってきたんだわ。そしたら「いやいや、子供も連れて女だからどうしょうもないから、私は広島に行くから」って、そう言って行ったんだって。だって空襲されたらどうもならんでしょ。まぁ、空襲されるようなところでもないけどもさ。
広島へ行ったっていうから、広島へ帰って来たら、その時ちょうど兄貴があれだな。何か用事あってこっち来た時に天使園の前でばったり会ってさ。「おぉ~、お前随分太ったなぁ」って。