終戦直後はいろんな物が不足したっていうけど…。
あのね、たたみの表はね、やっぱりね、産地の方も…。私、産地と直接取引きしてたから苦労することは無かったね。へりだって、内地の問屋さんにあるんだもん。
だけども苦労して、「割り当てでなければ貰えない」とか何とかっていうことまで言ってた人がいる、一時的にね。
だから私が前々から考えていたことは、北海道の問屋さんがね、何月頃、普通の時でも何月頃仕入れに行くか、それを探ろうと思って一生懸命で探っていたの。
そしたらね、だいたい三月から四月のね、二〇日頃までに来ますよと、こういうことなの。「よしっ!」と思って、ここへ来てからだけども、「俺、内地行って来る。」「銭こどうするのさ。銭こ無いよ」って家のばあさんが怒ったから、「なら、いいよ。銭こ無ければ、俺、歩ってでも行く」ような話してた。とうとう、どっからか銭こめっけてきて、行ったら最後だ。何とでもなるから。九州の方は、行かないよ。広島県、岡山、石川県。これ三つ。問屋さんを、巡って歩って。ちゃんと、泊めてくれるし、食わせてくれるしね。
ここでたたみやさん始めたでしょ。それまで広島のたたみやさんって無かったの。私なんかも札幌にいてたたみやさんやってて、こっちに広島へ仕事に来てたんだから。仕事に来たという時は自転車。材料は汽車で送って。山鼻、一六条から。中の島へ出てくれば早いから。東橋の方へ渡るよりも中の島へ出て、そして三六号線ば吹っ飛んで来る。
空で来る時だったら、やっぱり、五〇分から五五分くらいで。まあ信号ないし。ただね…砂利道。道路が、砂利道でしょ。あの白石の…白石神社だな、あそこがね雨が降るとぬかるんです。道路が両方えぐられちゃうの。それわからないで一回、その中にね、自転車でもろに落ちたりしたこともあったね。
広島はね、何て言うの、洪水で、ここもそうだろうけど床上にね、こう水が上がって、よくたたみでも何でも濡らすっていうことが多かったよね。
この引出しのところまで、家の中、水浸いた。たたみなんか全部投げちゃったよ。どうしょうも無くて。そう、輪厚川ね。
たたみ浸かったら、すぐ日に干しても駄目なんだ。
一回濡れてしまったら、もう絶対駄目。一回、水含んでしまったらね、とにかく持てないから。相当力のあるものでも、膨れちゃって、目方ついて。おそらく相撲取りあたりでも持てないと思うわ。重たくて。
たたみとなりゃ、幅も違うしね、持ちずらいいもんだからしょうがないもん。みんなもう投げちゃったよ。
広島は多いでしょ。床上浸水ってね。あの東の里の方から、ここら辺からね。たたみや大忙しになると思うだろうけど、その割に無いんだよな。どう言うんだかね…。
ここ広島辺りだったら、今こそないけども、最初のうちならね、「このたたみもう二〇何年からね、三〇年近くなるんですよ。裏返し出来るでしょうか。見てください」って。
行って見てみればね、裏返し出来る新しい買ったまんまの使わない部屋のやつがあるの。それは見ればわかるからね。
それを裏返しするしょ。ところがね、遊ばせておいてるのは、もう裏返ししても、もう使えなくなるくらいまで色が変わってしまうから。
表取り替えたらね、こんな時にね、裏返しやらんきゃ駄目。でないといい色が出てこないんだ。
もうね、硬くなってきてね。粘りのある間はいいの、案外。ストロー(2)だったって、長く経てばね硬くなるでしょ。あれと同じだから。ストローを織り込んだようなものなんだから。で、粘りが無くなるから、油っ気が無くなるからカサカサになるでしょ。それで皮がむけるでしょ。そうするとね、たたみの表のね黒くなったのと違ってどうしょうもないんだわ。
たたみ返した時の話でね、北の里でうちの息子を連れていって、たたみを修繕するのでうちへ持ってってやるからということで剥がしたの。ね、そしたら、たたみの下にお金を入れてあったと。それが無いとなったの。
「たたみやさん、知らんか?」ということ。うん、たたみやでないかと。うちの息子にああだこうだって因縁つけられたこともあったね。
結局、違うっていうのは、はっきりしたけどね。
注
(2)「麦わら。麦稈(ばっかん)。」
佐藤憲正 『日本国語大辞典 第二版 第七巻』 小学館
平成一三年年七月 一〇〇一ページ