一年生に入ったのは、輪厚尋常高等小学校。国道を出たところにあった。昭和七年、一年生は一〇人くらいだった。
昭和九年、三年生の二学期から、三つの学校
(1)が、一つ(広島村立西部尋常高等小学校)になった。
学校は複式。ずーっと複式。一学年で三五人くらいいたの。だから、ひと教室で七〇人くらいいたんじゃないかと思うんだ。ギュウギュウだ。で、先生ひとり。
一番始めは、輪厚の小学校は、女の先生だったんだよね。ツキサップのパン屋さんの娘さんだっていう話。独身で、学校が合併になる時に、辞めて行っちゃったんだと思うんだな。俺、そこんとこはね、あんまりよくわからない。学校が合併になった時に、男の先生ばっかりだったような気がする。
一年生から高等科まであったって、先生が校長先生含めて四人しかいなかった。今のように贅沢にいないから。
複式だから、隣に、まぁ、一時間のうち半分は教えてるわけでしょ。そのうち、こっちは自習さ。ちっちゃい時は自習して、おっきくなったら自習なんかしないんだよ。後ろ向いて、五目やったり…。
今のようにさ、みんな高校行かなきゃなんない、中学行かなきゃなんないなんて、ないんだから。もう、ここ卒業したら、百姓したらいいんだから気楽なもんさ。
小学校時代の思い出?
小学校時代は、冬になると高等科に通う人に挟まれて学校へ行った。まぁ、面倒見てもらったわけでね。帰りも吹雪なんかになると、一緒に帰るということで、高等科っていうものは、一年生にしてみれば、すごく大きく見えたから、大変頼もしく立派に見えたっていう話が一つと…。
当時、輪厚小学校の校庭には、桜の大木が周りに植えてあったわけ。春になると、ものすごい良い桜が咲いて、実もなったわけね。すると、まぁ、男の子はみんな木へ上がってその実を食べた。学校では、落ちたら困るから駄目だってことになってたんだけどね。
今の三六号線の道路の話では、春先になると道路がぬかるんで、通るトラックが学校の前でよく動けなくなった。で、校庭で遊んでいる生徒たちに、まぁ頼むって言うんで、みんなで行って押し上げてやったという記憶があります。
自然のことで覚えているのは、今の輪厚ゴルフ場のハウスの辺りは柏の木が多くて、春の雪道は柏の落ちた葉が飛んできてね。それから、冬中馬橇を引っ張って歩くから馬糞が…ずっとたれていたから、道路はもう、馬糞と柏の葉で大変汚かったこと。
それから、あの辺りはすずらんが生えていて、すずらんを束にしてね、荒木商店に持っていくと買ってくれたんです。それで、自分の欲しいお菓子や、くじなどを買ってきた記憶があるんですね。
注
(1)輪厚尋常高等小学校、下仁井別尋常小学校、島松教授場の三校
平成一一年年八月 一八ページ
『北広島市の学校教育』 北広島市教育委員会