きつねのみちあんない


 
1

 横なぐりの吹雪の原野を、大きな荷物を背負った三人の男たちが 歩き続けています。
時々、行き先を確かめるように、立ち止まっては、また歩きます。
 和田郁次郎(わだいくじろう)が北海道に広い土地をさがしにきて、この地が一番いいと決めたのは、明治十六年五月のことでした。
「雪がとけて、春がきたら、村をつくろう」と仲間と三人で仮ずまいの小屋をつくりにきたところでした。
それは年の瀬もおしせまった明治十六年十二月二十三日のことでした。

 
 
2

 吹雪は、ますますひどくなり、前の方もよく見えなくなってきました。
「和田さん、目的の地は、まだですかね。」
大きな荷物を背負った、谷川杢左エ門(もくざえもん)は、立ちどまってききました。
「さて、冬に来るのは始めてだが、もう少し先だったように思うが、山間から、平地が広がっていて、中ほどに川が流れていたのだが…。」
「和田さん、北海道の雪は、ほんとうにサラサラしていて、歩きやすいが、寒さも実にきびしいですなー。」
これも、大きな荷物を背負った、村上源九郎(むらかみげんくろう)が鼻水をすすりながら、いいました。

 
 
3

 ようやく、目的地にたどり着いた郁次郎たちは、まず、今晩の寝るところをつくらねばなりませんでした。
幸い、吹雪もおさまってきたようです。
太めの木の枝で、おがみ小屋の骨組みをつくり、松の枝でおおって、雪をのせます。
 そして、中の雪をかき出すと出来上がりです。
「北海道は、半年も冬と聞きましたが、冬はいつもこう、吹雪くのでしょうかねー。」
そのときでした。
「ウォーッ」
「ウォーッ」
おおかみの声です。
一匹が吠えると、あっちでもこっちでも
「ウォーッ」「ウォーッ」と次から次へと続きます。
「大変だ。おおかみだ。逃げましょう!」
「いや、この雪じゃ、逃げようにも逃げられん!火だ、火をたこう!!」
大急ぎで何ヶ所かに、焚火をどんどん燃やし続けました。
そのうちオオカミは、いつしか、いなくなっておりました。

 
 
4

 ようやく、夜が明けました。
吹雪はすっかりやんで、晴れ渡っておりましたが、小屋から這い出した三人はびっくりしました。
小屋はすっぽり雪の中にうまっていたのです。
見渡す限り、真っ白い雪の野原(原野)。
朝日にキラキラ輝いて、まぶしいほどです。
野うさぎの足跡がどこまでも続いているのが見えました。
郁次郎は、二人を残して千歳川の境界を調べに行くことになりました。
「天気がよくなりましたが、きのうのオオカミのこともありますし、気をつけてくださいよ。」
「なに、たしか一里ほどのはずだから、さして時間もかからんのでしょう!まあ、ゆっくり体を休めていてください。」
広い北海道にきて、何ヶ月もかかり、見つけた土地です。春になったら、村をつくるのです。
”吹雪やオオカミなんぞに負けていられない”と・・・。
郁次郎は、ぐっと腹に力を入れるのでした。

 
 
5

 郁次郎が千歳川の境界を調べ終わり、帰りかけた頃から、また吹雪いてきました。
たった今歩いてきた足跡も、みるみるうちに吹き消され、見えなくなってしまいます。
数歩歩いては立ち止まり、確かめるのですが、前のほうもよく見えず、とうとう帰る方角さえ、わからなくなってしまいました。
 それに、昨日もおとついも、深い雪の中を歩き続けていたので、郁次郎はすっかりつかれきっておりました。
 大きな木にたおれるようにもたれると、思い出すのは、ふるさとの広島のことです。

 
 
6

 春、満開の下でヨチヨチとチョウを追いかける坊や、ころんではまた、ヨチヨチと追いかけます。
おかあさんは、やさしく見守っています。
郁次郎の奥さんは、
「北海道には、クマがたくさんいるそうなー」
「冬はここでは考えられないような、きびしい寒さになるそうなー。」
と心配しながらも、一度決心した郁次郎には、何を言っても通じないことを、よく知っておりました。
「みんな幸せに暮せるところなら、いい村ができるといいですね。」
と笑顔で送り出してくれたのでした。

 
 
7

 ふと、我にかえった郁次郎は、びっくりして息をのみ込みました。目の前に二匹のきつねがいたのです。
郁次郎は、昨日のオオカミかと思ったのでした。
「やあ、お前たちも帰る道がわからなくなったのか、かわいそうに。はよ、おかえり。この吹雪じゃ、仲間も心配しておるだろう。」
「そうだな、わしも帰らにゃ、仲間が心配しておるだろうな。ホラ、お前たちもお帰り。」
郁次郎は帰る方角も判らないまま歩き出すと、きつねたちも歩き出しました。
「お前達は二匹で心強くていいなー。」
郁次郎が立ち止まると、きつねたちも立ち止まって見上げているのです。
やがて、きつねたちは、さも、ついておいで、というかのように、後ろをふりかえりながら歩き出しました。
郁次郎はつられるように、きつねのあとから、とぼとぼとついて行きました。
何時間歩いたのか、どのくらい歩いたのかわかりません。
「オーン」「オーン」
かすかな声にきつねたちが立ち止まったので、郁次郎も立ち止まりました。
「ホラ、仲間が呼んでいるよ。はよお帰り。よかったなー。」
その時、ふりしきる吹雪の合間にひとすじの煙を見つけたのでした。

 
 
8

 「オーイ」「オーイ」
今度ははっきりと聞こえました。郁次郎を心配した二人が、もやし続けた焚き火の煙と叫び声だったのです。
「和田さん、ほんとうに心配しましたよ。」
「いや、すまん。帰りかけると、吹雪いてきて、もう駄目かと思った。きつねのあとをずーっとついてきて、いや、助かりました。」
「きつねのあと・・・」
「きつねが二匹いて、ここまで・・・きつね・・・」
と郁次郎は言ったが、きつねの姿はどこにもありませんでした。

 
 
9

 郁次郎たちは、十一戸の仮ずまいの小屋を建てました。
さらに、翌年の明治十七年五月二十三日に、大きな希望にもえた、十八家族八十一人の新しい村づくりが始まったのです。
みんなで力を合わせて大木を切りたおし、道を作り、畑をたがやしました。やがてお寺ができ、学校ができました。
 鉄道ができ、汽車が走り、電気がつきました。ビルが立ち、今は5万人近くの人が住む町(街)になりました。
そして、百年、いや正確に言うと、一〇三年(2018年現在:一三四年)をへて今の私達の町(北広島市)ができあがったのです。

おわり