ほうかぶりじぞう

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紙しばいのはじまり はじまり~
郷土かみしばい「ほうかぶりじぞう」

 
 
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 島松に住んでいる長谷川さんのおじさんは「元気に行ってくるよ」と、道端のお地蔵さんに声をかけて仕事に出かけます。
その日は、みぞれの降る日で おじぞうさんが とても寒そうに見えました。

 
 
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 「ほれ これであったかいだろう」
おじさんが タオルでほおかぶりを取りかえると、おじぞうさんは ニヤッと笑いました。
おじぞうさんはうれしくなり、「よし ひとつ家を建ててやろう」と 約束をしました。
 何日かたった朝、なんと おじぞうさんに 屋根がついているではありませんか。
「すまんこと したの~」とおじさんは思いました。
そして ほおかぶりも屋根もなかった 五十年前のおじぞうさんを思いだしました。

 
 
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 おじさんの家族は、明治二十五年 北海道に来て、現在の島松には 大正二年に移り住みました。
米作り 畑仕事に精を出し、子どもは十三人の大家族です。おじさんは大正十一年に生まれ、上から十一番目です。

 
 
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 おじさんは学校を出る頃には、お父さんを助け 畑仕事をしていました。
その頃 日本は戦争という暗い時代に入っていきました。
昭和十七年には弟の戦死の知らせが入り、おじさんも次の年 戦争に行く事になりました。

 
 
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 出征の朝、たくさんの見送りの中に お母さんの姿が小さく見えました。
でも、お父さんの姿が見つかりません。
大急ぎで家に帰ってみると、

 
 
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 お父さんは 仏壇の前で泣いていました。
「無事に帰れたら、ちゃんと 父さんの面倒みるからな」と おじさんは約束して戦地に向かいました。

 
 
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 昭和二十年八月十五日 おじさんは南方のトラック島というところで終戦を迎えました。
 戦争がなかったら まるで竜宮城のような美しい島でした。
十二月になって、おじさんはケガ人や病人を二十人つれて 日本に帰る事が許されました。

 
 
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 しかし アメリカの船で日本まで八日間かかり、食糧はわずかカンパン十枚、その上 治療薬は没収され 船の中で死んでいく人もいました。

 
 
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 船は横浜の久里浜に着きました。そこから四日間かかって帰り着いた島松はいつもの年より雪がたくさん降っていました。

 
 
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 雪原(ゆきわら)をかきのけ 橋を渡ると、雪をかぶったおじぞうさんがみょうに なつかし気な顔をして立っていました。

 
 
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 「はらへった~ 何か食うもの無いか」と、おじさんは寒さにこごえながら 家の中にころがり込みました。
するとお父さんは「ほら お前の食うものは 神棚の上だ」と、あんこもち二つを指差しました。
それは 息子の無事を祈って 毎日欠かさず供えてくれていた 陰膳だったのです。

 
 
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 春がきて おじぞうさんが雪の中から顔を出しました。
おじさんは お父さんにおじぞうさんのことを聞いたけれど あまりくわしくは話してくれませんでした。
どうやら 戦争で死んだ弟と おじさんの無事を祈って 作ってくれたようです。

 
 
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 何年かたって おじさんは 戦争から無事に帰ってきたことに感謝して、今度は村の人を守ってほしいと、おじぞうさんを農道へ移しました。

 
 
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 ある朝 おじさんは寒かろうと おじぞうさんに ほおかぶりをしてあげました。
 少しお父さんに似ている気がしました。
それから おじぞうさんの ほおかぶりは スカーフだったりハンカチだったり、通る人とが かわるがわる かぶせてくれるようになりました。

 
 
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 そんなおじぞうさんは いつしかみんなに親しみをこめて「ほうかぶりじぞうさん」と よばれるようになりました。

 
 
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 戦争が終わって五十年たった平成七年、お正月の寒い朝、七十四才になった長谷川のおじさんは、あんこもち二つ そっと おじぞうさんに供えました。

「ほうかぶりじぞう」おしまい