北茨城市は、昭和三十一年三月三十一日、南中郷村、磯原町(昭和三十年四月一日、華川村と合併)、関南村、大津町、平潟町、関本村が大同団結し、県下一五番目に市制を施行しました。
いらい二十有余年、いろいろな曲折がありましたが、最も大きなものは、当市経済を支えてきた石炭産業が、昭和四十六年を最後に、全面的に終息したことであります。当然のように急激な人口の流出現象がおこり、市民の経済活動はもとより市の行財政面に、多くの困難をもたらしたのであります。しかし、市民あげての真剣な努力と適切な振興策によって、ようやく明るいきざしがみえてきました。今や当市の現状は、将来への飛躍台に立っていると信じています。
さて本市内には、有史以前の遺跡が、諸所に散見しており、佐竹氏や岩城氏統治下の遺跡も数多くみられます。さらに、江戸時代には天領や旗本領、それに大名領が入り組んでいましたので、興味深い資料が数多く残っています。
また、当市域の自然条件は、八割を占める山地、そこを水源とする大北川、花園川、里根川流域の沃野、大津・平潟の良港など、農林水産の多様な産業活動を支えてきました。また、神永喜八翁によって採掘された炭礦開発は、当市産業・経済の基幹でありました。一方、文化・芸術の面では、恵まれた風土の影響を受けて、近現代には野口雨情をはじめ、飛田周山など著名な人びとを輩出しました。
この図説は、さる昭和五十一年に行った市制施行二十周年記念事業の一環として計画されました「北茨城市史編さん事業」の一成果として、刊行するものであります。そもそも「北茨城市史」の編さんは、ふるさとをみなおし、ふるさとを理解することによって、北茨城市の輝やかしい発展に寄与しようとするものであります。
編さんにあたっては、茨城大学名誉教授瀬谷義彦先生をはじめ専門委員の先生方から、絶大な御尽力をいただきました。また、史料を提供してくださった方々には、格別な御厚意を賜っております。ともどもに、心から深甚な謝意を捧げるしだいです。
さらに、「北茨城市史」通史編の完成と、本市のかぎりない発展を念じつつ、発刊のあいさつといたします。
昭和五十八年三月
北茨城市長 柴田章