序にかえて

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 白波に洗われる海岸に立って、本県第二の高山栄蔵室などが静かに連なる、阿武隈の山なみを眺め、六角堂のある五浦の波の音を聞いたり、あるいは花園の渓谷をさかのぼって、県境に近いブナの原生林に分け入ってみると、茨城県にもこんなところがあったのかと、改めて北茨城地方の自然に魅せられる。

 このような自然と、豊かな人情に満ちた環境の当地方には、多くの秘められた歴史があり、先人の苦心を物語る歴史があるにもかかわらず、当地が茨城県の最北部に位置するということもあって、多くの県民から忘れられ勝ちだったうえ、戦後石炭産業の終息によって、その傾向に一層拍車がかかった感があった。

 このような中で市当局は、市制施行二十周年を迎えるにあたり、その記念事業のひとつとして、「北茨城市史」編さんの計画を立てられ、当地方の歴史を明らかにして、市の将来を展望しようとされた。これは誠に時宜を得た大事業であり、私どもはこの計画に心から敬意を表するものである。

 本市の歴史を明らかにすることは、実は本市のためばかりでなく、本県の歴史の空白の部分を埋め、やがて日本史の舞台に登場する、いくつかの重要問題の再考を促がすことにもなる。

 そのように重要な歴史的問題を含む本市の歴史編さんを、私どもが委嘱されてから三年有余が過ぎた。私どもは昭和五十四年五月七日市史編さん委員会で決定した基本計画に従って、通史編発行の前に、『図説』の刊行を目指して、原始古代遺跡の発掘、史料の調査、写真の収集などをすすめ、さらに執筆に取り組んできた。そしてほぼ予定通りここに刊行の運びとなったことは、関係者として何よりも嬉しい。

 言うまでもなくこの図説は、目でみる北茨城の歴史であって、単なる写真の羅列説明ではない。写真は自然や歴史の一齣々々を的確に示すものでなければならず、その解説は歴史の流れから逸脱したものであってはならない。そう考えるとやはり時間が不足だったことを痛感するが、幸に編集には小松委員の努力と、志田委員をはじめとする執筆者諸氏の尽力、それに教育長をはじめ編さん係の諸氏の適切な事務進行によって今日に至ることができた。なお写真の撮影にあたられた滑川氏をはじめ、調査協力者、史料や写真を提供して下さった方々に、心から感謝の意を表するしだいである。

   昭和五十八年三月

監修 茨城大学名誉教授 瀬谷義彦