北茨城市の先土器文化については、ほとんどが不明のままであったが、昭和五十五年七月から八月にかけて中郷町日棚細原(ほそのはら)にある細原遺跡の発掘調査が、市史編さん事業の一環として実施され、少しずつではあるが明らかになってきた。
細原遺跡は、阿武隈高地の支脈から東に細長く伸びた標高六〇メートルほどの舌状台地上に位置し、先土器時代から奈良・平安時代にわたる複合遺跡である。
遺跡の土層は、第Ⅰ層が黒褐色土の表土層で縄文時代以降の遺物を含み、第Ⅱ層は暗褐色土層で縄文時代早期の遺物を含む。第Ⅲ層は先土器時代の遺物包含層の黄褐色粘質土層(ソフト・ローム層)で約三〇センチメートルの堆積がみられる。第Ⅳ層は第Ⅲ層と比較してやや黒味を有する黄褐色粘質土層(ハード・ローム層)で、先土器時代の遺物は出土していない。第Ⅴ層は黄色パミス土層、第Ⅵ層は明茶褐色粘土層であり、さらに段丘礫層の堆積がみられる。
第Ⅲ層中から出土した石器群は、調査区の南東部に三か所ほどまとまって存在していた。
石器類はナイフ形石器・槍先(やりさき)形尖頭(せんとう)器・彫刻刀形石器・彫掻(ちょうそう)器・削(さく)器・掻(そう)器・削片(さくへん)など約二〇〇点が出土し、そのほか剥(はく)片も多く検出されている。これら石器の中で、槍先形尖頭器は、平面形が菱(ひし)形で彎曲(わんきょく)した断面を有するものと、柳葉形で断面が分厚く山形を呈する二形態がみられる。また、彫刻刀形石器の形態は、両面加工のものや大きな縦長(たてなが)剥片を素材として片面加工し、周辺調整がなされて左肩に大きな樋状剥離のみられるものなどが含まれる。
石器群の編年的位置付けなど残された問題もあるが、県内における先土器時代発掘調査の好例として注目される。