縄文時代人は、自然環境に影響されながら八〇〇〇年もの長い間生活し、自然環境が変化するたびに自らの生活を少しずつ変えていった。
草創期・早期はやや寒冷な気候から温暖化する時期であり、動植物の生活にも影響を与えた。前期は気温の温暖化によって海水面が上昇した時期で、海進期といわれている。関東地方の内湾には、ハイガイなどの暖流系の貝類が生息し、コナラ属などの暖温帯落葉広葉樹林がみられ、西日本では、アカガシなどに代表される外来的な照葉樹林帯が拡大した。中期は関東地方に暖温帯落葉広葉樹林が繁茂し、植物性食料の供給源となった。各地の中期の遺跡数は増加し、とくに中部山岳地帯では中期文化が発展した。後期は中期よりやや冷涼化して中部山岳地帯の遺跡数は減少し、東京湾北東地域に遺跡数が増加し、大形貝塚が形成された。晩期の東日本には、ブナを中心とする冷温帯落葉広葉樹林がみられ、現在のような森林帯が形成された。このように変化した環境の中で、縄文時代人は地面を掘りこんだ竪穴(たてあな)式住居に住み、周辺の森林帯などで狩猟や採集をして食生活を支え、海浜地域では漁撈活動が行われた。
縄文時代に使われた道具はほとんどが石で作られた石器で、矢の先の石鏃、木を伐採する磨製石斧、土掘り具の打製石斧などのほか、石皿・敲石(たたきいし)・くぼみ石・石錐(いしきり)・石錘(せきすい)などがある。これらの石器のほかに、大珠(おおだま)などの玉類が装飾品としてみられ、信仰的な石器として石棒がある。安産祈願の人形といわれている土偶(どぐう)もみられ、呪術的な信仰があったと考えられる。
縄文時代人の寿命は短かく、地面に穴を掘りくぼめて埋葬される例が多く、伸展葬・屈葬などの例が知られ、そのほか土器内に埋葬された例もみられる。