大津廃寺跡

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大津廃寺跡は馬頭観世音廃寺跡と呼ばれ、古くから布目(ぬのめ)瓦が出土する地として注目されてきた。昭和五十六年十二月の発掘調査の結果、凝灰(ぎょうかい)岩で石積みされた基壇跡が発見された。この基壇は寺院の金堂跡と推定されている。出土した複弁(ふくべん)六葉蓮華文の軒丸瓦や三重弧文の軒平(のきひら)瓦からみると、奈良時代初期に粱津の港を見降ろす地に寺院が建立されていたことが明らかになった。布目瓦の中には夏井遺跡(いわき市)、苅宿廃寺跡(白河市)と同系のものも認められる。


大津廃寺跡から大津港をのぞむ

 さきにみた常陸路の要衝に位置した榎浦津にも、「榎の浦の流海」の港を見降ろす地にあたる稲敷郡江戸崎町下君山に奈良時代の寺院跡があり、石造露盤や心礎とともに多くの布目瓦が発見されている。ここにも塔をもつ寺院が建立されていたのである。

 奈良時代の仏教は、鎮護国家の思想が強かった。常陸路の最初の駅家が置かれた榎浦津と、その終点にあたる粱津の国境の港に寺院を建立して、常陸国内の鎮護と、蝦夷征伐に向かう将兵や船団の平安を祈念したのであろう。


大津廃寺基壇跡


大津廃寺跡出土の平瓦


大津廃寺軒丸瓦の出土状況