竜寅寺の開山

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好間太郎左衛門は天文年中(一五三二~五四)、岩城荒川(いわき市平)の竜門寺七世天翁順貞(てんおうじゅんてい)を招き、領内下相田に雄峰山竜寅(りゅういん)寺を開山している。

 竜門寺は曹洞宗の寺院で、明徳三年(一三九二)青岑珠鷹(せいしんしゅよう)の開山といわれる。開山大檀那は岩城朝義(ともよし)で、応永十一年(一四〇四)十一月八日卒し竜門寺に葬られ、以後岩城氏の墓所となる。一説では朝義の子常朝(つねとも)が創始し、青岑珠鷹は常朝の子とする。

 竜門寺二世舒叟祐伸(じょそうゆうしん)、三世関渓永牧(かんけいえいぼく)、四世桃岩寿見(とうがんじゅけん)、五世玉関〓瑳(ぎょくかんぎんさ)、六世台岩寿桃(だいがんじゅとう)、七世天翁順貞とつづく。岩城氏の菩提寺である竜門寺から七世天翁和尚を車領下相田に招請できたのは、岩城氏と車氏の関係が親密であったことを物語っている。

 『竜寅寺過去帳』には、「寅山(いんざん)竜公居士 雄峰寺殿 竜寅寺開基 好間兵部大輔」とみえる。

 また、『常北遺聞』によると、元禄年中(一六八八~一七〇三)に竜寅寺一二世寒江という人が位牌にまとめて書き付けた、という車氏先祖の法名がいくつか伝えられている。


雄峰山竜寅寺


『竜寅寺過去帳』にみえる車氏一族