岩城領の検地

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文禄四年(一五九五)、岩城領の検地が実施された。文禄四年十一月九日の『岩城領検地目録』によると、関本分・車分・竜子山分の村と石高は、次のとおりである。

百四十七石三斗七升           平かた村

七百八石九斗四升七合          山小屋村

千百十五石九斗八升四合         上ノ村

九百卅二石四斗四升八合         中ノ村

七百六十七石一斗            下ノ村

二百七十三石四斗九升四合        大津村

千百十九石四斗九升           神岡村

関本

 〆五千六十四石八斗三升三合

 

百九十五石六斗二升六合         西丸村

二百十八石四斗三升九合         花薗

百四十一石七斗九升八合         山小川村

四百四十八石七斗八升二合        小豆畑村

三百四十五石四斗八合          相田村

三百九十二石四斗八合          同村

三百八十一石四斗            中妻村

二百五十三石六斗九升          車城廻

五百廿五石五斗三升           臼場村

七百六十四石四斗五合          小敷田村

二百三十六石九斗二升          磯原村

五百廿六石一升五合           小津田村

 車

  〆四千四百三十石四斗二升一合

九十六石四斗八升八合          うつの村

五百十四石四斗九升一合         木皿村

六百三十石四斗三合           石岡村

八百十六石七斗四升四合         大塚村

千百四十石五斗一升二合         ひたな村あわの村

二百七十九石九斗四升          小野村

三百十五石               松井村

千百六十四石四升二合          桜井村

二百石五斗三升四合           嶋崎村

二百六十六石三斗四升四合        足洗村

七百十六石四斗五升三合         赤浜村

千七百四石四斗二升五合         下手綱村

千二百一石二斗九升八合         上手綱村

五百卅六石七斗四升一合         君田村

百八十九石三斗三升七合         横川村

千三百六石五斗二升三合         嶋名秋山

九十五石二斗三升八合          石滝いな村

竜子山

 〆壱万千百三十四石五斗一升三合

 この『検地目録』によれば、車丹波守の所領は四四三〇石四斗二升一合であり、大塚氏の所領は一万一一三四石五斗一升三合であった。検地目録と一緒に『小物成目録』が作成された。北茨城市地域に関係あるものをあげると、次のようになる。

桑 十二本  此綿四十八匁       中妻村

漆木 十束  此漆七十匁        小津田村

漆木 五束半 此漆三十八匁       関本上ノ村

楮 二束半  此紙二十五枚       関本上ノ村

山役 壱貫五百五十文          関本上ノ村

竈 七具   一貫六百八十文      神岡村

竈 十一具  三貫三百文        磯原村

竈 二具   四百文          小野村

竈 十四具  四貫二百文        足洗村

猟船 五艘  一貫五百文        磯原村

大船 三艘  一貫五百文        ひらかた村

猟船 十艘  三貫文          同村

丸木船 七艘 一貫五十文        同村

猟船 六艘  一貫八百文        大津村

丸木船 七艘 一貫五百文        同村

小船 二艘  四百文          足洗村

大船 二艘  一貫文          関本下ノ村

猟船 一艘  四百文          同村

 この目録によると、山地よりの村では桑・漆木・楮が植えられて漆や紙が生産され、海沿いの村では、製塩や漁業などが行われたことが知られる。


『岩城領小物成目録』


『岩城領小物成目録』


『岩城領小物成目録』