検地の結果にもとづき、家臣の知行替えが行われた。この知行替えは文禄五年(一五九六)四月から七月におよんでいる。大塚氏は岩城領標葉郡折木城(福島県双葉郡広野町)に知行替えになった。岩城領に検地が実施された文禄年中に大塚親成は、石岡村岩淵に隠居したといわれるので、知行替えになったのは大塚隆道である。
折木に移った隆道は、上薊川(かみあざみがわ)の地に法壺山(ほうこさん)東禅寺を開き、菩提寺としている。東禅寺は薊川を見降す山腹を整地して境内とし、東に海を望む。西側には境内につづく山があり、ここに折木砦(とりで)が築かれている。慶長七年(一六〇二)岩城氏が改易になり、大塚氏も所領を失った。安永五年(一七七六)春、仙台角田の大塚新左衛門は江戸登りの途次、東禅寺に立ち寄り、先祖の位牌を拝したという。東禅寺は現在でも、大塚氏代々の位牌を安置し供養をしている。
折木に移った大塚氏のあとには、植木孫右衛門尉が「木皿村之内」一〇〇石、福田久兵衛が「あわのひたな村のうち」四〇石、小野崎備前守が同村に八九石四斗の知行を受けている。