花園山は満願寺金剛王院と、山王権現の鎮座する神仏混淆(こんこう)の聖地であった。
満願寺は初め慈覚大師開山の縁起を有する天台宗寺院であったが、戦国時代には京都醍醐寺三宝院の松橋流をくむ真言宗の寺院となった。醍醐寺無量寿院の尭雅僧正「関東下向記録」に、永禄三年(一五六〇)六月二十八日「於常州花園山印可」とある。花園山別当仁長僧都「袈裟ノ裏書」(『満願寺代々雑記』)にも、「今度、松橋僧正東国御下着之砌、悉く開眼供養之儀、成就せしめる者也」とみえる。
修験道の霊場としても知られ、『華園山縁起』に「当山ハ往古葛良城(かつらぎ)山ヲ移シ、近国修験入峯(にゆうぶ)ス、南ノ石名坂入峯初メ而メ此所十八道ノ行法修行ス、茲レニ因テ十八道トカキテイシナサカトヨム老翁ノ伝也」とみえる。
明応三年(一四九四)八月十六日の「小野崎朝道・同親道連署起請文」、「江戸道徹(通雅)起請文」に、「当国筑波権現・佐都・鷹山(たかやま)大明神・花園七社権現・鹿嶋大明神」などとみえ、永正七年(一五一〇)十二月二日の「佐竹義舜起請文」には、「当国鎮守鹿嶋大明神・築波六所・息栖大洗静宮・佐都鷹山大明神・金砂・真弓・花園二十一社・太田八幡大菩薩」などとある。戦国時代には「花園七社権現」「花園二十一社」とも呼ばれ、常陸国内武将の尊崇を集めていたのである。
『華園山縁起』には次頁のようにみえる。
それによると、「花園七社権現」は上七社を指し、「花園二十一社」は上七社・中七社・下七社の二一社を指すのである。
七 小禅師本地地蔵菩薩 十四 聖宮本地如意輪観音菩薩
六 客人権現十一面観音 十三 王子宮文殊菩薩
五 八王子権現千手観音 十二 下八王子権現本地虚空蔵菩薩
四 二宮薬師垂迹 十一 気比宮本地正観音
上七社 三 聖真権現本地阿弥陀 中七社 十 早尾権現本地不動
二 大古権現本地釈迦 九 大行事毘沙門天王
薬師如来 以上如来也
釈迦如来
第一 山王権現本地阿弥陀 第八 牛御前本地大威徳明王花薗山王大権現本地釈迦牟尼天照太神八幡太菩薩
第十五 小禅師権現本地弥勒竜樹二菩薩
十六 悪王子本地愛染明王
十七 新行事本地吉祥天女 熊野山権現
下七社 十八 岩滝弁才天 愛宕山大権現
十九 末宮本地摩利支天 中奥灌頂 羽黒山大権現本地如意輪観音
二十 剣宮本地不動明王 白山大権現
廿一 電殿本地大日如来 富士山大権現
是二十一社也