松井村には、計画どおり、この用水を利用して新田が開かれた。寛文九年(一六六九)の「松井村新田開検地改帳」によると、水田一一町余、畑四町余が開かれている。
その後惣左衛門は、支流の「向江」をも開き、水路は粟野、日棚、足洗方面へものびていった。これで、石岡、松井、島崎、桜井、桜井新田と合わせた広い地域が、「十石堀」の恩恵を受けるようになった。
現在、加露川の水は一年を通しすべて十石堀に流されている。日棚、松井、粟野の三地区の区長と土木委員が維持管理の責任者となり、水は水田面積に応じ、それぞれ四割、三割六分、二割四分の割で配分されている。維持管理費も受益面積に応じ、田の所有者が出すが、大工事は市が負担する。春夏の「いはらい」、「よせかり」などの水路整備は、地区の人々が、全戸一人ずつ出、協力して行っている。冬期の維持は、防災のため警防団にまかされている。