本陣

124 ~ 124

江戸時代諸侯が往来する街道の宿場に置かれた大旅館で、別名大名宿ともいい諸大名の休泊にあてた。とくに参覲交代(さんきんこうたい)の制が実施されてからは良く利用されたものである。岩城街道も奥州の諸大名(安藤、相馬、内藤、本多氏ら)が参覲交代のおりたびたび利用することがあり、この街道の宿場にも本陣、脇本陣(本陣の予備)があった。


大名の休泊留帳

 本陣の規模は、他の旅籠屋よりも大きく、どっしりとした門構えや玄関を有し、室内には他の部屋より一段高い「上段の間」が設けられ、そこには一行中の最高の身分の人が泊った。

 写真の本陣札は江戸時代末期のもので、一枚は磐城の国中村藩六万石を有した相馬氏、他の一枚は磐城平五万石の藩主安藤氏がそれぞれ休泊の際に使用したものである。


本陣の関札

 この本陣札は岩城街道神岡の宿にあったもので、本陣は神岡の菊地氏が営んでいた。


神岡下本陣菊地家の見取図

 この本陣も明治維新後は幕府の保護を離れ、衰微の果てに明治三年(一八七〇)ついに廃止された。