大津沖に碇舶した異国船から、小船二艘に分乗した異人一二人が、大津村の海岸に上陸したのは、文政七年(一八二四)五月二十八日の午後であった。
大津浜は当時水戸藩の領地であるが、松岡(高萩市)に陣屋のあった附家老中山備中守の知行地であるから、治安は中山氏の責任であった。しかし突然の上陸なので何の防備もなく、上陸異人は村人の手で穴蔵などに入れられていたというが、記録によって、上陸後の模様はかなり違っている。
異人の容子についても書いたものによってまちまちであるが、ここに掲げた絵図は当時誰かが異人をスケッチしたものの一部である。それには煙草をふかし、塩けをたべず、生大根や生ねぎをくい、酒は一杯ずつ呑み、干さばをくう、飯をくうに箸はいらず、腰から匙を出してくうが、思いのほか少食、鶏や牛・豚をくうなどと、いかにも物珍らしげな添え書きがある。
異人は鉄砲を持参したとも伝えるが、村人たちはこの異様な侵入者に、恐怖感は余りなかったらしく、さっそく松岡へ知らせた。