松岡の中山氏の一隊は異人上陸の二日後に大津浜の警備にあたったが、松岡からの急使を受けた水戸藩からは、三日後の六月一日午後、武装した第一陣数十人が、大筒といわれた大砲などを引いて、大津浜に着いた。この中には会沢安(正志斎)と飛田勝(逸民)の二人の筆談役が交っていた。筆談役というのは、今の通訳に相当するもので、筆で字や絵を描いて相手の意志を探る役目であるから、水戸藩の武士たちが駆けつけたのは、異人を討つのが目的ではなく、非常事態に備えることと、無断上陸した理由を取り調べるためであったことがわかる。
筆談役会沢は取り調べの模様を、のちに『諳夷問答畧記(あんいもんどうりゃくき)』という小冊子にまとめている。それによると、予想に反してロシア人ではなく、イギリス人(諳厄利亜(あんぐりあ)国ノ人)であったといい、彼らは捕鯨船員で、食べものと飲料水を求めて上陸したといい張った、と書いている。会沢はしかし、そうは思わないと主張する。