六十年に一回、あるいは六十日に一回まわってくる庚申の日に、人々が宿元の家に集合して徹夜で語り合い酒食の宴を催す風習を庚申待、あるいは庚申講といっている。
江戸時代に民間で信仰され行われていた行事のひとつに恵比須講がある。これは陰暦正月二十日の晩に行われ、農家でも、商家でも、恵比須、大黒の像を飾り、家ごとに馳走を供えて祝う。この祝い方については家により少しずつことなるが、とにかく家内安全、福祐円満を願ったものである点においては同一であった。正月二十日は農家の恵比須講、十月二十日は商家の夷比子講ともいわれ、両方祝う家も多かった。
市内の各地には現在、数多くの庚申塔や、青面金剛の石像、庚申塚などが残っているが、これはかつて、庚申をまつる信仰がかなり盛んだったことを示すものである。また、画像や、行事の帳簿類が磯原、小野矢指、石岡その他に伝えられている。大黒天も本来はインドの軍神なのであるが、日本では福寿と利財円満のための神として信じられていた。