篆刻・鋳印

145 ~ 145

篆刻では磯原の郷士野口北水がすばらしい技術を発揮した。長久保赤水の門人で諱を勝興といった。天性篆刻(てんこく)・鋳印の技に長じ、とくに銅印鋳造ではすぐれた腕をみせていた。

 水戸第六代藩主徳川治保は文雅を好んだが、北水を小石川に召し、側近において印章を作らせた。そのため、当時の著名な学者や諸侯大夫もみなこれにならって彼の印を需めたという。太田南畝や柴野栗山とも親交があったという。

 大きな気持の人でかつて仙台の伊達氏に招かれた時、貧しい中に熱心に絵画に励んでいる菅井椿園という者をみて、感激し、貰った礼金をすっかり学資として与えてしまい、磯原に着いた時には嚢中無一文であったという逸話さえある。

 作品の数はおよそ千余顆、作品集としては「江遊印譜」がある。門人としては有名な鈴木高邦があげられる。


野口北水の篆刻


野口北水作の銅印とその印影